塾報 第11号
■平成19年2月14日 発行
 

2007年 私の初夢
 
1 都城市に中高一貫校が出来ました。
   念願の中高一貫校の開校式に参列して涙を流して喜んでいました。
   今年は何としても目途をつけたいものです。

2 第3次救命救急センターが出来ました。
   場所は高木のインターチェンジの付近だったような気がしました。
   働き盛りの患者さんの「一命を取り留める事が出来た」と喜びの声を聞きました。

3 旧四町のグランドが種目専用のグランドにリニューアルされて
  テープカットをしていました。

   子供や大人たちまでが歓声を上げて走っているのです。

   私のスリービジョンが正夢になりますように努力を惜しみません
  

 
ごあいさつ
 

立春も過ぎ暖かい日が多くなって参りました。皆様にはお元気でお過しの事とお喜び申し上げます。
昨年は県政も大変な年でありました。知事が辞職され出直し知事選が行われる事となり、年末年始の(一月四日告示一月二十一日投票)選挙戦になりました。

■宮崎県知事選挙の経緯
私は県議会、自民党県連、公明党、経済団体一〇団体が推薦を決定した、持永哲志氏を一生懸命に応援いたしましたが、「自民党分裂」と、「しがらみの無い人」と言う、県民の皆さんの意向が各地に伝播し、東の風が吹き東国原知事が誕生いたしました。県民の皆さんの圧倒的な支持を受けられたのですから頑張っていただき、私達県議会と共に宮崎県政を立て直していかなければなりません。
中村幸一も精一杯の努力をしたいと考えております。


■副知事人事について
副知事人事について、知事から就任早々是非とも持永哲志氏と県政運営を一緒にしたいと副知事就任の要請がありました。相談を受けた私も持永哲志氏に副知事を受け、知事に協力してこの宮崎県を一日も早く立て直して欲しいとアドバイスしていましたが、二月八日前後に明らかになる予定のサプライズ人事がマスコミに漏れ、「持永バッシング」が始まり、その結果、知事は諸般の事情を考慮して持永副知事を断念することになりました。
知事と副知事がタッグを組んで県政発展に努力すれば、本当に素晴らしい県政が運営されたと今でも残念で仕方ありません。

■二月定例議会と新知事
二月定例議会が二月十五日から三月九日の予定で開会されます。議会においてきびしく追求すると「知事バッシング」、追求しなければ「議会の腰砕け」とマスコミはさわぐでしょう。
しかし、私共はお互いに素晴らしい宮崎県にしなければならない責務がございます。知事もそのような気持ちで出馬され当選されたのですから目的は一緒です。協力しながら県政発展を目指したいと思っております。
マスコミはオール野党との対決姿勢を煽っているようですがそのような事はありません。皆様方も新聞記事等を鵜呑みにしないで「正しい情報」を見極めて頂きますようにお願い致します。
二月定例議会が終わると四月は県議会の選挙であります。
五期目の戦いになりますが、誰にも負けない実行力と経験を生かし、宮崎県の建て直し、郷土都城市の発展のために己を捨てて頑張りたいと思っています。
 
どうか皆様のご支援を賜りますよう心よりお願い申し上げます。


 
       
 
       
         
東国原知事と中村幸一
 

東国原知事と私の関係は4年前にさかのぼります。
4年前の県議会選挙の時、東国原知事が地方自治の論文を書くために「中村幸一さんの選挙事務所で研修をしたい」との申し出があり快く引き受けました。当時の「そのまんま東」さんは、真面目に色々な事を勉強されていました。又、私の選挙カーにも2日間乗り、個人演説会場でも応援演説をしたりして選挙戦の勉強も熱心にされていました。 
その後、何回も焼酎を酌み交わした仲であります。
その当時は、まさか知事選に立候補されるとは夢にも思っていませんでしたから、今回の知事選挙においては一回も会うことも無く、私は持永哲志氏を一生懸命に応援いたしました。
持永哲志氏の副知事要請に関しても持永哲志氏から相談を受けて一生懸命取り組みました。知事ともこの件で何回も電話のやりとりをしましたが、皆様ご承知のように残念な結果となりました。
今後は東国原知事の県政運営に対して議員の一人として支えていきます。

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